JR巣鴨駅から白山通りを左に徒歩五分の大鳥神社は現在、文京区千石四丁目の表示だが、昔は巣鴨の内でした。
下の江戸切絵図では右手の中山道の下方が千石四丁目の交差点、上部右手が巣鴨駅の見当です。
中山道を一歩入ると、イナリヨコ丁(稲荷横町)、イナリ小フシ(稲成小路)の文字が見えるが、ここが現在の大鳥商店街です。
お酉様の日にはここに多くの露店が建ち並びます。
十一月の「酉の日」は酉の市、お酉様。古くは「酉のまち」とも呼ばれている。「まち」とは祭りの意味です。
三の酉がある年は、火事が多いとか、吉原に異変が起こるなどという俗信も。これは酉の市をダシに夜遊びする牽制策とか。
巣鴨のお酉様は元治元年(1864年)に初めて市が立ち、第二次大戦でいったん途切れたが、近年再び活況を呈しています。
浅草の鷲(おおとり)神社や新宿の花園神社もいいが、由緒ある巣鴨の大鳥神社へもぜひどうぞ!
また、酉の市は関東地方一帯で行われる江戸時代からの年中行事で、関西地方の夷(えびす)信仰に対するものです。
台東区千束の鷲(おおとり)神社が有名ですが、本酉と言われた葛西花又村の鷲大明神の方が古いです。
酉の市は「取り込む」に通ずることから熊手が縁起物として売られる。一説には、花又村の酉の市で農具を売ったところ、金銀をかき集める商売繁昌に結びつき熊でが人気を博したとか・・・
また熊手の他、お多福面、宝船などの縁起物、黄金餅、八ツ頭(人の頭になれる)などが売られています。
熊手の売買が決まると「シャンシャンシャン」と威勢のいい手締めが境内のあちこちで鳴り渡ります。
大鳥神社の熊手は「福をかき込む」、かっこめともうい神社の御守には必ず稲穂がついています。これは我が国の稲作の起源に大鳥が稲穂をくわえて空から落としたのに因んだものです。
※穂落し(ほおとし)=大鳥(おおとり)
現在ではお酉様の関係で巣鴨大鳥神社の方が有名ですが、その鳥居左手に鎮座する子育稲荷社の方が古く由来もあります。
神社の縁起をひもとくと、必然的に稲荷社および霊感院に行きつきます。稲荷社の創建は約300年前、栄枯盛衰は世の常ですが、社殿は荒れ果て無住となり人々から忘れ去られた時代もありました。
ここに登場したのが中興の祖ともいうべき霊感院の大僧正。姓名不詳なため、仮にR僧正としておきます。R僧正はなかなかのアイディアマンで、社殿の建立やご開帳、日蓮のお会式に造り菊を披露するなど稲荷社および霊感院の再興に一念発起しました。
「鬼平犯科帳」の中の「女掏摸お富」(文春文庫第2巻収録)および「白と黒」(文春文庫第8巻収録)という作品に出てきます。